-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第64回
業平と小町(25段)(二)
『古今集』の小町
『伊勢物語』「25段」の典拠と言っていい「巻十三」「恋三」の当該和歌は、その並びにこそ25段に見られる物語のモチーフがあったことになる。従って、新たに考えなくてはならないことは、古今撰者は、何故このような配列を行ったのか、ということでなくてはならないだろう。
『古今和歌集』の配列については、その厳密な意識まで解明されているとは言い難いが、少なくとも、「巻一」から「巻六」までの四季の部立については、季節の運行推移に従っておおよその配列がなされていることは周知のことであろう。しかし、さらに、より厳密な配列は、私見によれば、様々な要素に基づく連鎖の法則によって、前後の和歌相互の繋がりが決定されている。詳細は別稿に譲るほかはないが、その場合の「様々な要素」とは、季節の微妙な推移を示す内容面のものとは別に、純粋な意味での歌語、修辞、表現、言葉、さらには、歌人と歌人との関係性による「縁」のようなものまでもが指摘できるのである。
「恋」の部立については、残念ながら、その一首一首の連鎖のあり方をすべて解明したわけではないが、当該の巻三の巻頭付近については、四季の部立と似たような配列の原理が認められるようである。
巻三の巻頭周辺は、いわゆる「逢はぬ恋」と言っていい内容のものが収められているが、巻頭の業平詠からは、和歌の内容や個別の歌語の連鎖(縁語的発想)によって、それぞれの繋がりを認めることができる。そのなかで、巻頭から続く三首は、詠者が、業平、藤原敏行、業平と続き、いわば、在原業平の縁故の関係でまとめられ、さらにその後に続く三首は、「題知らず・よみ人しらず」の歌群でまとめられている。そして、問題の「業平」と「小町」の当該二首は、この「題知らず・よみ人しらず歌群」の直後に配置されているのである。
ここで業平詠と小町詠とが並べられた理由は、次のようなことが考えられるのではないか。
まず業平詠だが、前に置かれている「題知らず・よみ人しらず」の歌群の最後の歌、「逢はぬ夜の降る白雪と積りなば我さへともに消ぬべきものを」の「逢はぬ夜」を承けて、「逢はで来し夜」と連鎖させているものと思われる。そして、その連鎖は、そのまま小町詠の「足たゆく来る」の「来る」に響いているのである。
また内容面で言えば、このあたりは「逢はぬ恋」であるから、男の側から詠えば、訪ねたが逢えないということになり、女の側から詠えば、訪ねられても逢えない、ということになる。つまり、この「業平」と「小町」の当該二首は、『古今集』の四季の部立とほぼ同様の原理によって配列がなされていることがわかるのである。
しかし、それでもなお、ここであえて「業平」に「小町」の歌が続くことの意味は考えてみなければならないだろう。なぜならば、「逢はぬ恋」を詠ったものはまだ他に多くのものがあったであろうから、古今編者は、意識的に業平の隣に小町を置こうとしたと考えるのが自然なことだと思われるのである。
おそらく、ここには、積極的に「業平」と「小町」とをそれぞれ隣に置こうとする意識が働いたのではないか。それは、この二人が恋歌の名手であり、そして何よりも「古今集序」で掲げられるところの、いわゆる「六歌仙」であることにも基づいていよう。
六歌仙評の箇所は、「仮名序」「真名序」ともに、基本的に同じものであり、次に「仮名序」から両名の当該箇所を掲げることにする。
在原業平は、その心あまりて、ことば足らず。萎めたる花の色なくて、匂ひ残れるがごとし。
(在原業平は、その心情が大きすぎて、表現の言葉が不足している。それはあたかも、萎んだ花の華やかな色はないが、香りがまだ残っているようなものだ。)
小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、良き女のなやめるところあるに似たり。つよからぬは、女の歌なればなるべし。
(小野小町は、いにしえの衣通姫の流れである。しみじみと胸を打つようであって、強くない。言うならば、最高の美女が病気であるようなものだ。強くないのは、女の歌だからであろう。)
『古今和歌集』の「六歌仙」批評は、この業平と小町に関しては、比較的高評価と言っていいかもしれない。他の四名、僧正遍照、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主については、誰が見ても、それは辛辣な評価となっていることがわかる。これは、『古今集』の論理としては、『古今』の「今」である醍醐朝を称賛しなければならず、そのためには、必然的に、平城朝後から醍醐朝までの9世紀は、和歌史の空白期として、けっして高らかに称賛するわけにはいかなかったのである。
しかし、9世紀のうた人たち―『古今集』で言えば、主として「よみ人知らず・六歌仙」たちは、その「古」の時代を支えた功労者たちでもあったわけで、貫之たち編者の立場からすれば、ある意味で複雑な思いもあったことだろう。9世紀の和歌史を支えたうた人たちが、「よみ人知らず」や「六歌仙」であった以上、そういう人々への特別な顕彰の意識が、ある程度『古今和歌集』にも反映されていると見ていいのではないかと思われる。
さらに言えば、「古今集」の「序」で強く指摘された9世紀の「色好みの家」の代表的歌人が、まさに「業平」と「小町」であることは、「恋一」巻頭歌が「よみ人知らず」、「恋二」巻頭歌が「小野小町」、「恋三」巻頭歌が「在原業平」、「恋四」巻頭歌が「よみ人知らず」、「恋五」巻頭歌が「在原業平」であることを見れば、明白と言わねばならない。
このように、『古今集』編者からすれば、業平と小町とは、相並ぶべき存在の恋歌の名手であり、そういった意識を「恋三」の配列から読み取るべきであろう。
そして、問題は、この並置されるところの「業平」「小町」の歌を、『伊勢物語』は、なぜ25段にあるようなかたちで取り込んだのか、ということを考えねばならないが、このことについては、さらに稿を続けねばならない。