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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第75回
古歌(萬葉)のイメージ(33段~37段)(一)

 

「33段」の和歌

繰り返し述べてきたことではあるが、『伊勢物語』が語る時代は、「九世紀(800年代)」である。和歌史における九世紀について、『古今和歌集』「真名序」は、次のように述べている。

昔、平城天子、詔侍臣、令撰萬葉集。自爾以来、時歴十代、数過百年。其後和歌棄不被採。

(昔、平城の天子、侍臣に詔して、萬葉集を撰ぜしむ。それよりこのかた、時は十代を歴(へ)、数は百年を過ぐ。其の後和歌棄てて採られず。)

「平城天子」とは、平城天皇(在位、806~809)であり、『萬葉集』を「侍臣」に「撰」ばせた、とあるので、これは明らかに「勅撰」であったということであろう。その時から、天皇の代は「十代」時は「百年」の経過があった、というのである。まさに、醍醐天皇の延喜5年(905)までの「十代百年」(醍醐は、平城から数えて十代目)ということになるのであって、つまり、この百年の時の流れこそ、まさしく「九世紀」を流れた時間ということになる。

そして、平城天皇の『萬葉集』以後、「和歌棄不採」(和歌棄てて採られず)と明解に言い切ったのは、わかりやすく言えば、和歌はこの間、天皇(朝廷)のもとから遠ざかっていたということなのである。

『古今和歌集』の両序とも、この国の「うた」の歴史の大きなエポックとして『萬葉集』の成立を指摘している。そして、これは重大な認識と言うべきなのだが、『萬葉集』は、平城天皇の勅命によるものという認識を示しているのである。つまり、勅命ということであれば、『萬葉集』は「勅撰和歌集」ということになるが、今日、学問的には『萬葉集』は「私撰和歌集」という位置づけであることは言うまでもない。

しかしながら、『萬葉集』が、勅撰であるか、私撰であるか、というようなことの議論は、この場合、さほど意味のあることではない。大事なことは、延喜五年(905)に成立した『古今和歌集』の「序」が、『萬葉集』は平城天皇(在位806~809)の勅命により成立した歌集であるという認識を示しているということである。『萬葉集』は、「いにしへ」より在り続けた「和歌」の集大成として、平城天皇時代に成立した歌集なのであった。

そして、百年後の『古今和歌集』には、その名称のとおり、「古」と「今」の和歌が採録されているということになるが、「萬葉に入らぬ古き歌」(仮名序)こそが『古今集』の「古き歌」ということになるであろう。具体的には、『萬葉集』に近い「古歌」が収められている理屈になるのであって、同じ「九世紀」の歌を収める『伊勢物語』にも、同様の性質が指摘できるに違いないのである。

そういった意味では、『伊勢物語』に『萬葉集』のイメージに近い和歌が収められているのは当然と言わなければならない。実は、それらのイメージを持つ歌がまとめて配列されているのが、『伊勢物語』「33段~37段」のグループなのである。連鎖という形で掲出されている点、そのイメージは強いものがある。

33段の男の歌は、限りなく『萬葉集』のイメージに近い。なぜならば、男の歌は、次の『萬葉集』「巻4」にある歌にきわめて似ているからである。並べて掲げてみよう。

蘆辺より 満ち来る潮の いやましに 君に心を 思ひますかな(伊勢、33段)

従蘆邊 満来塩乃 弥益荷 念歟君乃 忘金鶴(萬葉、巻4、617) 

(蘆邊より 満ち来る塩の いやましに 思ひか君の 忘れかねつる)

この両者は、基本的に同じ思いを詠ったものと思われる。「君に思いを増す」と「君が忘れられない」とは、表現の違いに過ぎない。歌の上の句(序詞)は、「蘆邊」に「満」ちて来る「潮」の状態に、自分の愛情がより深くなることを見立てたもので、そのまま歌意に関わってくる点で、「序詞」としてはやや原初的な性質を有するものと言っていい。つまり、「序詞」特有のたんなる表現上の言語遊戯に終わることなく、実際の歌意に即した表現であることによって、いかにも「萬葉」的なのである。

この『萬葉集』「巻4」の歌は、「山口女王、大伴宿祢家持に贈る歌五首」としてある歌群のなかの一首である。「山口女王」については伝未詳だが、「大伴宿祢家持」はよく知られている。この家持に、山口女王が、片恋の苦しさを訴えた歌が五首まとめられているのである。前後には、この山口女王以外にも、家持と女性歌人との応酬は多く見られるので、あるいは、歌の創作を楽しんでいる体のものかもわからないが、成立時期は家持の生前の時代であることに間違いはない。

このように、「蘆辺より満ち来る潮のいやましに」という序詞は、『萬葉集』後期の雰囲気に強く彩られている。そういう序詞を用いた歌が『伊勢物語』の「33段」に指摘できるということに意を払うべきであろう。

―この稿続く―

 

2018.4.13 河地修

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