-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第77回
業平と有常-38段
16段の物語からも明らかなように、業平と紀有常は親友としての関係だったようだ。16段では、「ねむごろにあひ語らひける友だち(心から信頼を寄せ合ってきた友だち)」として、「業平」らしき「男」が紹介されていた。38段においても、業平と有常とが昵懇であったことのエピソードが語られていると言っていい。が、話としては、さほど面白味のあるものではない。本文を掲げてみよう。
昔、紀の有常がり行きたりけるに、ありきて、遅く来けるに、よみてやりける、
君により 思ひならひぬ 世の中の 人はこれをや 恋といふらむ
返し
ならはねば 世の人ごとに 何をかも 恋とは言ふと 問ひし我しも
(昔、紀有常の家に行ったところ、有常がどこかに出かけていて、遅く帰った時に、歌を詠んで送った、
あなたのせいでこの思いを味わうこととなりました。人は、この思いを恋と言うのでありましょう
返し、
そういう思いを味わったことがありませんので、世間の人たち皆が、いったいどのような事を恋と言うのかと、かつてあなたに聞いた私ではありませんか)
この話は、業平が有常の家に行ったところ、有常がどこかに出かけていて、なかなか帰って来なかった。そこで自宅へ戻った業平が、有常に、待ちこがれていた時の思いを、これが世間の人が言うところの「恋」というものなのだろうか、という主旨の歌を送ったのである。それに対して、有常は、自分には恋の経験がないから、恋の思いとはどういうものなのかと、かつてあなたに聞いたではないか、と反論したのである。
業平は、有常の帰りを待ちこがれた時の感情を、あえて「恋」と言うことで、有常への親愛な心情を表したのであろうが、有常は、それを真に受けて、自分は「恋」というものを知らなかったので、かつてあなたにどういうものかと聞いたではないか、だから私にはわからない、とむきになったような感じで、16段で「心うつくしく」(率直)と評された有常らしい誠実な反応ではあるまいか。
このやりとりからは、少なくとも、二人の親密な人間関係が伺われるとしなければならないが、それに加えて、二人それぞれの人物像が対照的に浮かびあがっていると言うべきであろう。それは、「恋」というものを知らない「有常」と「恋」の練達者としてのイメージが強い「業平」という対照である。
業平の「恋」の練達者としてのイメージは、どこからもたらされたものか。それは、おそらく、現実の業平の実人生というものが、そういう華やかな恋に彩られていたということがあろうが、しかし、そういう恋に積極的なイメージというものは、『古今和歌集』に収載されるところの和歌に依ることが大きかったのではないか。特に、「恋」の部立に載る和歌の印象は強烈なものがあったに違いない。
『古今集』に載せる業平の和歌は、全部で30首なのだが、「恋」の部立(恋一~五)に載せるものは11首である。30首中11首という数字が、割合として多いかどうかは人によって印象が異なるかも知れないが、少なくとも「恋」の歌の多くが青春時代に制作されるであろうことを考えれば、やはり、この数字は高いのではないかと思われる。そして、業平の場合、何よりも、『古今和歌集』が認めた恋歌の名手であった。
それは、「恋歌」の巻「巻11~15」(恋一~五)までの巻頭を誰の歌が飾っているかを見ればわかるであろう。「恋一」~「恋五」の巻頭歌と歌人は次のとおりである。
巻11(恋一)
題しらず
詠み人しらず
ほととぎす 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな
巻12(恋二)
題しらず
小野小町
思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを
巻13(恋三)
三月の一日より、しのびに人にものを言ひて、後に、雨のそほ降りけるに詠みてつかはしける
在原業平朝臣
起きもせず 寝もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめ暮らしつ
巻14(恋四)
題しらず
詠み人知らず
陸奥の 安積の沼の 花かつみ かつ見る人に 恋やわたらむ
巻15(恋五)
五条の西の対に住みける人に、ほにはあらでもの言ひわたりけるを、正月の十日あまりになむ他へ隠れにける。あり所は聞きけれど、えものも言はで、またの年の春、梅の花盛りに、月のおもしろかりける夜、去年を恋ひて、かの西の対に行きて、月のかたぶくまであばらなる板敷にふせりて詠める
在原業平朝臣
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身一つは もとの身にして
このように、『古今和歌集』「恋」五巻の巻頭歌は、「詠み人知らず」2首、「小野小町」1首、「在原業平」2首であって、個人としては、業平の詠歌が2首選ばれていることがわかるのである。まさに、我が国初の「勅撰和歌集」『古今和歌集』が、恋歌の名手として在原業平という歌人を認め、そして顕彰した瞬間でもあった。
2018.7.28 河地修
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