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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第82回
「天の下の色好み」―第39段の諸問題(五)

 

「至は順が祖父なり。みこのほいなし。」―解説的文章のこと

39段の末尾にある「至は順が祖父なり。みこのほいなし」について、これを古くから後人の注記とする見解がある。物語世界そのものを語る物語の成文と比較すると、たしかにこのような解説(注記)的文章は、やや印象が異なるかの趣があろう。しかし、実は、「物語」というものは、本来このような解説的スタイルを持つ性質があると言えるのであって、けっして異質なものではない。

たとえば、この物語の「初段」を見てみよう。物語世界(ドラマ)を語り終えた後、物語の語り手(作者)は、それまで語ったところの主人公の行為に対して、「昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける」という有名なコメントを付しているが、さらに言えば、初段の場合、すでにこの一文の直前から、「ついで、おもしろきことともや思ひけむ、みちのくのしのぶもぢずり誰れゆゑに乱れそめにし我ならなくに、といふ歌の心ばへなり」という解説的一文を置いていたのである。

これは、「男」が「女はらから」に詠み送った歌「春日野の若紫の擦り衣しのぶの乱れ限り知られず」が、件の源融の歌「みちのくのしのぶもぢづり誰ゆゑに~」の歌の翻案であることを解説しているのである。そういう意味では、初段の場合、「ついで、~」以下から章段末まですべてが解説的文章であると言うことができるのである。

また、実は、『伊勢物語』の場合、初段だけではなく、このような解説的文章を有する章段が数多くあるのだが、一部の古注釈は、これらのすべてを「後人注」というような扱いを行ってきた。文体が異なる趣だけでこのような発言を行うのは無責任極まりないことなのだが、もっとタチが悪いのは、昭和40年代に入ってからのいわゆる「成長論」が、これに追随し、『伊勢物語』が、あたかも後人の追加や増補でできあがったものとする根拠の一つに、これらの解説的文章の存在を指摘したことであった。平安朝の「物語」というものに対する無理解からもたらされた結果に他ならない。

「物語」の本質は、その語意のとおり、「おしゃべり」である。つまり、語り手が聞き手に直接語りかけるスタイルが基本形なのであって、そこには、物語世界そのものへの解説的語りの要素が、読者を意識して直接表出したとしても、いっこうに不思議なことではない。つまり、そういうスタイルを編み出したのが『伊勢物語』ということができるのであるが、さらに、そのかたちは、紫式部の『源氏物語』にも表れている。すなわち、『源氏物語』の「草子地」と言われるものがそれである。この「草子地」を「後人注」などと言う人はいない。『源氏物語』の場合は、物語構造上、主として「女房」が語る体をなしているので、このような「草子地」とは、かたちとしては、直接的に、あるいは、間接的に、「女房」の感想の表出などとして説明されているのである。

『伊勢物語』の場合、おそらく、作者が直接読者に語りかけるという要素が強いのである。よほど激しい主張がある作品と理解すべきなのであって、その最たる要素である解説文を、後人注などという安易な理解を行ってはいけない。

 

2018.11.17 河地修

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