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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第89回
「色好み」の女(42段)

 

「色好み」の女を愛したがゆえの男の不安と苦悩

「いろごのみ」という言葉は、たんに「好色」というほどの意味で、異性を強く好むということに他ならない。いつの時代でもそういう概念はあるし、また、そういう人間は、男女を超えて存在するのである。ただ、社会通念として、男の色好みはよくあることで、女の色好みは珍しい、とはされているようである。これも、おそらく古今東西変わらない社会通念かも知れない。

42段の物語は、主人公と言える「昔、男」が、相手の女が「色好み」であることが分かりながらも深い仲となったことで、その苦悩ぶりを心情に即して語ったものである。あくまでも、男の側からの物語であり、他の男との関係が十分に推測される「色好み」の女への不安と苦悩が、リアルかつ丁寧に捉えられたものと言えよう。そういう意味では、『古今和歌集』「仮名序」に言う「色好みの家」において、あるいは日常的によく見られた一風景と言うべきかも知れない。本文を次に引く。

 

昔、男、色好みと知る知る、女をあひ言へりけり。されど、憎く、はたあらざりけり。しばしば行きけれど、なほ、いとうしろめたく、さりとて、行かで、はたえあるまじかりけり。なほはたえあらざりける仲なりければ、二日三日ばかり障ることありて、え行かで、かくなむ、

出でて来し跡だにいまだかはらじを誰が通ひ路と今はなるらむ

もの疑はしさによめるなりけり。

(昔、男が、色好みとわかりながらも、女と深い関係を持ったのだった。それでも、男はその女のことが、憎いとは、けっして思わなかったのだった。男は女のもとに何度も通ったけれども、それでもやはり、とても女のことが疑わしくて、だからといって、行かないでは、とてもいられそうもなかったのであった。二人は、普通では、またとてもいられなかった仲であったから、二日三日ほど差支えがあって、男は女の所に行くことができなくて、代わりに次のような歌を送った、

私が出て来たその足跡さえまだそのまま残っているのに、もう誰の通い路と今頃はなっていることであろうか

女が疑わしいことから、詠んだのであったよ)

 

文体に託された「男」の心情

42段は、25段、28段、37段に既出の「女の色好み」を取り上げた章段と言えるが、それらの各章段とはやや趣が異なる印象がある。42段の場合、男の相手が「色好み」の女であるがゆえに、他の男とのことが疑わしくて、それが心配でならないという男の正直な心情が、複雑な文体の展開とともに表現されているのである。一読してわかることだが、文体というものに、物語のテーマ上の核心を表徴させたものとも言えるのであって、そういう意味では、きわめて意欲的な作品と言っていい。

その特徴的な文体を指摘するならば、重畳的表現の連鎖による男の複雑な心理描写がある。たとえば、男は、女を「色好みと知る知る」関係を持つと表現されるが、この「知る知る」には、女の好色性に、逢う度毎に気付きながらも、一方でその女の魅力の虜になってゆかざるを得ないという男ゆえの性(さが)が描かれてもいるだろう。

また、男が、女の「色好み」に反発しつつも、しかし、結局はその魅力に負けざるを得ないという屈折した心情は、「されど、」「さりとて、」といった逆接の接続詞を繰り返すことでうまく表現されている。理性ではわかるものの、感情がどうにもコントロールできないという、言わば、男の恋の泥沼に陥った心情である。さらに、そういう男の複雑な思いを、副詞の「はた(また)」「なほ(それでも)」を重ねて用いており、一筋縄ではゆかぬ「色好みの女」に対する男の複雑な苦悩ぶりが見事に強調されていると言えよう。

『伊勢物語』の場合、時として、このような、この物語特有の文体上の特色が見て取れることがあるが、おおむね、それは、主人公の心理に関わるところに意を用いているかに見える。心情表現そのものが少ないこの物語ゆえの特性かとも思われるが、今は指摘にとどめておきたい。

 

2021.4.17 河地修

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