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講義余話


国文学科から日本文学文化学科へ(2)―ナショナリズムのこと

平成21年10月12日

「国語」という言葉と同質の「国文学」は、ナショナリズムの観点から言えば、実に心地よい言葉である。江戸時代後期には「国学」という思想・学問も隆盛している。我々の「国」は、むろん美しくなくてはならないし、強くもありたいものだ。それが「国」を構成する「民」の偽らざる思いであって、その感情には何ら批判すべき要素はない。

しかし、この国を愛する精神=ナショナリズムは、国の運命にとっては“諸刃の剣”であることを、歴史が証明している。国を愛するという美名のもとに、どれだけ多くの尊い命が犠牲になってきたことか。19世紀から20世紀に勃発した共産主義対自由主義との戦いの構図を除けば、近代史におけるほとんどの戦争は、まさしくナショナリズムというパッションのもとに導き出されたものに相違ない。国家間の紛争は、戦争という集団的殺戮行動に至らぬまでも、多くはこのナショナリズムが導き出すところの帰結と言っていい。

近代日本の、朝鮮半島や中国本土への唾棄すべき侵略行為も、その根本には、偏狭なナショナリズムが横たわっている。そして、あの太平洋戦争は、明治以降、国家的規模で醸成されてきたニッポンナショナリズムが最高潮に達した結果であった。石油も鉄鋼も産出できず、基幹産業の維持は基本的に貿易に頼らざるを得ない日本が、そもそも主要各国との関係を断絶することになるという全面戦争を引き起こすことなど、まさに、正気の沙汰ではなかった。軍部はむろんのことだが、当時の日本中が冷静な判断力を失った結果に他ならなかった。ナショナリズムは時に偏狭な自己愛と化し、冷静な判断力を失わせるものなのである。

学問とは、ありていに言えば、物事を正しく理解することでなければならない。昭和に入ってからの太平洋戦争に至るまでの時代は、日本という国を正しく知ることさえ不可能な時代であった。自国を愛するということは、盲目的に自国を愛することではない。正しく客観的にその歴史を知り、そのあり方を知り、その正しい姿について、勇気をもって認識することである。

国際化時代の進展は、皮肉なことだが、二律背反的に、一方で民族主義の台頭を促すものである。世界は今、グローバリゼーションという新しい時代におけるナショナリズムの台頭とその抑制という難問に直面している。国際化時代におけるナショナリズムの問題こそ、世界各国、そして各民族が克服しなければならない永遠の課題でもあるのである。

日本文学文化学科がその誕生に当たって、学科名に「日本」という言辞を採用したことは、自国を客観的に見ようとする姿勢の提示でもあった。それは、「世界から日本を視る」という新しいコンセプトのもと、偏狭な自己愛からの訣別という決意の表れでもあった。

東洋大学日本文学文化学科は、あの愚かな時代を再び繰り返してはならないという反省のもとに出発したのだ。正しいナショナリズムはいかにあるべきか、それは、簡単に言えば、この国を正しく知ることから始まるであろう。日本と日本人とを正しく知ること―、その真の姿は、むろん美醜交錯する姿ではあるであろう。しかし、我々は勇気を持ち、その姿を正視することから始めなければならないのだ。


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