河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第3回
『伊勢物語』の成立を考える(一)
『源氏物語』「絵合」巻をめぐって―『正三位』と『伊勢』―

そして、次に、合わせられるのが、源氏方の『伊勢物語』と権大納言方の『正三位』なのである。次に原文を掲げよう。

次に、伊勢物語に正三位を合はせて、また定めやらず。これも、右はおもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる。平内侍、

「伊勢の海の深き心をたどらずてふりにし跡と波や消つべき
世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて、業平が名をや朽すべき」と、あらそひかねたり。右のすけ、

雲の上に思ひのぼれる心には千尋の底もはるかにぞ見る
「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在五中将の名をば、え朽さじ」とのたまはせて、宮、

みるめこそうらふりぬらめ年経にし伊勢をの海士の名をや沈めむ

歌合もそうだが、合せの行事は左右に分かれて争う。「左」は源氏が後見する斎宮女御方で、提供する物語は『伊勢物語』、そして「右」は、権大納言の後見す る弘徽殿女御で、その時の物語が『正三位』という物語であった。この『正三位』は、現在は残っていない、いわゆる散逸物語であって、その物語の内容につい ては、詳細は不明と言うほかはないが、しかし、この「絵合」のくだりからそれをかすかに推測することは可能である。

『正三位』について、まず、「右はおもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる」とある。興味 深く華やかで、そこには宮中の様子が描かれているようであって、そして、何よりも注目すべきは、「近き世のありさまを描きたる」とある点であろう。「近き 世」とは、この「絵合」巻現在よりも、若干昔の時制を指しているのであって、その頃の話が物語の内容というのであるから、この物語の成立(制作)は、当然 のことながら、既出の『宇津保物語』と同様、「絵合」巻現在、すなわち、現実の時代で言えば、10世紀半ばの村上天皇時代ということになるのである。この ことは、藤原権大納言方が、新作の物語絵を制作し提供したという設定とまさしく照応していると言えるのである。

一方の『伊勢物語』である。平内侍の歌に「ふりにし跡」とあるように、印象としては、古い、ということであろう。さらに、「業平」「在五中将」と、その主 人公が実在の在原業平である以上、物語の内容上の時制は、業平の時代、すなわち、9世紀前半から後半に掛けての物語であることは明白である。そういう物語 の制作がいつ行われたのか、ということである。すでに、源氏が後見する斎宮女御方が提供する物語は古い、というのが前提にある以上、当然、その成立は「絵 合」巻現在=村上天皇の時代よりは古いとしなくてはならない。すなわち、その成立は10世紀半ばよりも当然古くなければならないのであって、むろん「物語 の出来始めの祖」である『竹取物語』と完全に同時代というわけにはいくまいが、しかし、ほとんど、それと変わらない頃の成立(制作)という認識がここには 示されていると言うべきではないか。藤壺の歌にある「みるめこそうらふりぬらめ年経にし伊勢」とあるのは、『伊勢物語』の成立そのものの印象を述べたもの と断定していい。

2010.1.25 河地修

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