河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第4回
伊勢物語』の成立を考える(一)
『源氏物語』「絵合」巻をめぐって―『正三位』と『伊勢』―

言うまでもないことだが、『源氏物語』は、その物語世界の時代設定を厳密に規定している。それは、たとえば、桐壺帝が醍醐天皇(在位:897~930)に、そして、次の朱雀帝が実際の朱雀天皇(在位:930~946)に、さらに、その次の帝である冷泉帝が村上天皇(在位:946~967)に相当することでも明らかである。いわゆる「準拠」と呼ばれるものだが、紫式部の歴史認識はほとんど完璧であって、この物語世界に描かれる世界は、延喜天暦の治、つまり醍醐村上朝時代に射程されていると言っていい。

物語中の「絵合」巻は、まさに実際の村上天皇の時代に合致するのであって、その時代の歴史感覚として、“伊勢は古い”という叙述が繰り返し強調されるのである。ここには、西暦950年当時の王朝人の『伊勢物語』という物語に対する歴史認識が吐露されていると考えなければならない。

「絵合」巻の記述内容の、光源氏方の提供する物語は「古い」物語という物語設定は、あらためて注目しなければならない。それらの「古い物語」として用意されたのが、『竹取物語』と『伊勢物語』なのであった。『竹取物語』の書写が紀貫之(872頃~945)だというのであるから、貫之が作者でないとするならば、その成立は貫之の時代よりもさらに古く、まさに「物語の出来始めの祖」と呼ぶにふさわしい。『伊勢物語』の成立もこの次元に属すると見ていいが、主人公が在原業平(825~880)である以上、その成立は、業平の没年以降でなければならないのは当然のことだ。印象としては、古い物語ではあるが、『竹 取』よりは新しい(後に論ずるが、『古今集』成立(905)後のこととしなくてはならない)という認識が示されていると見るべきであろう。

こういう歴史認識が示されている『伊勢物語』の成立について、近年、『古今集』成立前後からおよそ100年程度の時間を経て現在の形のものになったとする、いわゆる「成長論」が脚光を浴びたのは記憶に新しい。しかし、この考え方は、端的に言えば、紫式部の時代(1000年初頭頃)にまで『伊勢物語』が成長増益を続けていたという考え方である。その考え方の提唱者は、はたしてこの「絵合」巻の記述をどう読んだのであろうか、私は、深く慨嘆せざるを得ない。

村上天皇の時代、そしてむろん紫式部の時代も、『伊勢物語』はすでに「古典」と言うにふさわしい存在だった。そんな古典に手を入れて作品の規模を大きくする、それも不特定多数の人物たちが、というのが「成長論」である。この考え方が独り歩きしたところに、近年の『伊勢物語』の悲劇があったのではないか。我 々は、今一度、『源氏物語』の作者、紫式部の『伊勢物語』への思いに耳を傾けなければならないと思う。

2010.2.14 河地修

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