河地修ホームページ Kawaji Osamu
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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第16回
物語の冒頭を考える(一)
「初段」について(一)


主人公像の造型

言うまでもなく、『伊勢物語』の冒頭は「発端」としてある「初段」である。この章段の意味、もしくは意義については、過去考察を加えている(「伊勢物語の発端と主人公」『伊勢物語論集』所収)。すなわち、「初段」の、この物語の「冒頭」としての必然性の問題である。そのことは、たとえば、1964年に発表された渡辺実氏の、この物語の作品論的立場から言えばまさに記念碑的論文となった「伊勢物語の人物批評」(『国語国文』33巻・10号)にも早くから指摘されていた問題であった。

 

渡辺氏は、「初段」の読解に当たって、「うひかうぶり」「おいづく」「いちはやきみやび」という言葉に注目した。すなわち、元服直後(初冠)の少年のような主人公(昔、男)が、偶然垣間見した「女はらから」に対して、求婚としてその場にふさわしい和歌をとっさに詠みかける行為を「おいづく」(実際の年齢以上に見える)と評価し、さらに、それを「いちはやきみやび」として賞賛するに至った物語と読み解いたのであった。

 

「初段」は、確かに渡辺氏が言うように、この物語の主人公像を、そのオープニングにおいて強烈に印象づけるものであった。この先の物語の展開に当たってのプロローグとしての役割を十分に果たしていると言っていいかもしれない。

すなわち、この先の物語展開への興味とともに、鮮烈なデビューを飾った若き主人公の今後の活躍への期待が、多くの読者の心を捉えたのは想像に難くない。事実、その期待を意識するかのように、次章段の冒頭は、「昔、男ありけり。奈良の京は離れ、この京は~」と、一見、主人公が、今度は「奈良の京」ではなく「この京(平安京)」で活躍するかのような口吻で始められるのである。むろん、この期待は、読み進めるとともに、見事に、そして確信的に裏切られることになるのだが、ともかく、「初段」が放つ主人公像は強烈なものがあったと言っていい。

 

従来「初段」の注釈は問題が多い。これは、語彙としての問題もあるが、結局はそのテーマ(はなしの眼目)がよく理解されていなかったためではないかと思われる。その意味でも、繰り返すが、渡辺氏の「伊勢物語の人物批評」は画期的な論文であった。元服間もない年若い主人公の行為への賞賛、という観点で「初段」を読み解くなら、逆に難解とされていた幾多の注釈上の問題も解決できるように思われる。

 

「うひかうぶり」という語について

言うまでもなく「初段」の冒頭は、漢字かな混じり文で表記すれば「昔、男、初冠して、」という表現で始まっている。この「初冠」は「うひかうぶり」だが、厳密に言えば、もともとが漢字表記の「初冠」とあったのか、それとも「うひかうぶり」とあったものに、後世、書写の過程で「初冠」の表記を当てたのか、よくわからない。

前者だとすれば、「初冠」という漢語の由来や「うひかうぶり」という読みでいいのかということが問題となるが、後者だとすれば、「うひかうぶり」に「初冠」という漢語を当てるのが適当かどうかということが問題となる。ただ、いずれにしても、結局は、語彙としての「うひかうぶり」が問題となることは言うまでもない。

 

語彙としての「うひかうぶり」は、明らかに「うひ」と「かうぶり」の二語構成からなる。「うひ」とは「初」で、初めてということであるが、「この世に生まれてから初めて」というニュアンスに近い。このことから「初初しい」という類語も派生したのであろう。また「かうぶり」は「冠」であり、サ変動詞の「す」を伴って、原義としては、冠を付ける、ということである。

貴族の子弟は、元服をすると冠を付けることから、「かうぶりす」とは、元服するという意味でも用いられた。たとえば、『日本国語大辞典』は、『宇津保物語』の「12歳にてかうぶりしつ」という例を引いてる。この『宇津保物語』の例からすれば、「かうぶりす」は、明らかに、元服する、という意であり、『伊勢物語』初段の例は、この「かうぶりす」に「うひ」が接頭辞的に付いたものと考えていい。

 

この場合の「うひ」とは「初」で、生まれて初めて、元服をし「冠」を付けた、ということを言っているのである。初々しい貴公子の誕生、といった印象が強烈である。当時の元服は、早いときはおよそ12歳当時から行われているので、「うひかうぶりす」からは、年少の若々しい貴公子像がイメージされるのである。この意味で、渡辺実氏の「元服直後の若々しい主人公の誕生」という読みは正しいとしなくてはならない。

 

この「うひかうぶりす」という語彙については、別の要素から注目しておかなければならないことがある。

それは、今述べたように、この語が本来は「かうぶりす」という形が基本であるということである。それは、『宇津保物語』の「12歳にてかうぶりしつ」の例からも明らかである。初段の例は、その基本形の「かうぶりす」に「うひ」が付いた、ということに過ぎないのだが、この形は、おそらくは『伊勢物語』が初出であって、同時代の他の文献には見られない。

このことは別の意味で興味のある問題である。すなわち「うひかうぶりす」という形は『伊勢物語』の作者が創始した可能性が高い、ということであって、ここには、ことばの創始、という問題が浮上してこよう。この問題は、実は『伊勢物語』では随所に出来してくることなのだが、とりあえず今は措く。

 

「昔、男、初冠して」、元服直後の初々しい主人公の、しかしみごとな「みやび」ぶりを語るのが初段だが、しかし、「みやび」の問題を含め、このあたりの事情について、私は、もう少し精緻に検討しなければならないと思っている。

 

2012.5.22 河地修

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