-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第28回
「母なむ藤原なりける」考―没落と貴種流離譚(二)
第十段の「藤原なりける」「母」が「武蔵国」に根を張っていることの事情や理由はわからない。この土地で婚姻し娘がいるのであるから、少なくとも、若い時にはこの土地に居住していたことが考えられる。あるいはまた、この土地で生まれたけれども、自身の家系(藤原氏)への誇りから、娘の婚姻相手は都人と決めていたのかもしれない。
このあたりの話の構造が、いわゆる「貴種流離譚」に準ずるものであることは、「行平の須磨―日本文学文化史における行平伝承―」(『日本文学文化学のために』文学文化舎)においても考察したところであるが、都から流離する貴公子が没落零落の都人であることは押さえておかねばならない。貴種流離譚の類型パターンは、この都人がその土地における偶然とも言える邂逅によって、やがて雄々しく復活していくことになることは言うまでもない。従って、この第十段の話が貴種流離譚的色彩を帯びていることに気付いた読者は、当然のことながら、そこに主人公の復活劇とでも言うべきものを想定することになるのである。
つまり、この章段における都人の求婚は、まずはその窮迫した生活からの脱却として、成功しなければならないだろう。そのことを強く確認できるものとして、母親と都人との贈答、さらに言えば、この都人を「むこがね」として表現することを指摘することができるのである。
みよし野の たのむの雁も ひたぶるに 君が方にぞ 寄ると鳴くなるむこがね、返し、
わが方に 寄ると鳴くなる みよし野の たのむの雁を いつか忘れむ(みよし野に住んでいる、あなたを夫として頼る私の娘も、私と同じ気持ちであなたに心を寄せているのです)
(私に心を寄せているというあなたの娘を、私がいつ忘れることがありましょうか、いつまでも愛し続けます)
この母親と都人との贈答は、端的に言えば、この婚姻が成立したことを示していよう。母親の娘がこの貴公子を婿として迎えることになることは、「むこがね」という言葉でも明確に確認することができる。藤原出身の母親の思いは都人である貴公子を婿として迎えることで、まずは成就したと言わなければならない。そして、それと同時にこの窮乏の貴公子も危機を脱したのである。とすれば、この後の展開はおのずと読めてくるのであって、貴種流離譚の展開に従って、この貴公子の復活劇(都への回帰)が語られるはずであろう。
この第十段は、そのような展開を語ることはないが、物語の読者というものは、そういう期待の中で自らの読解を膨らませていくことになるのである。
―この稿続く―