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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第31回
「母なむ藤原なりける」考―没落と貴種流離譚(五)

 

都から流離する貴公子を待つ物語と言えば、すでに触れたように、『源氏物語』「明石」巻であろう。この場合の都からの貴公子とは、言うまでもなく光源氏であり、その流離と漂着を待ち望むのは、明石入道であった。伊勢の十段ではそれが母親であるのに対し、源氏の明石巻は、父親なのであった。

言うまでもなく、「明石」巻の物語は、光源氏という貴公子の流浪、すなわち典型的な貴種流離譚の構図の中で造型されている。そのことを端的に表しているものが、次の明石入道と源氏の言葉である。明石入道は、自身の娘の将来について考えてきたことを、次のように言う。

これは、生まれし時より頼むところなむはべる。いかにして都のたかき人にたてまつらむと思ふ心深きにより、ほどほどにつけて、あまたの人の嫉みを負ひ、身のため、辛き目を見るをりをりも多くはべれど、さらに苦しみと思ひはべらず。

  

(この娘は、生まれた時から頼みとするところがございます。どうにかして都の尊い身分の人に差し出したいと思う心が深いので、身分の程に応じて、多くの人の恨みを買い、私自身、辛い目にあうことも多くございますが、まったく苦しみと思うことはございません。)

「都のたかき人」とは、都から流離してきた尊い貴公子のことで、ここでは当然光源氏を指している。入道は、娘が生まれた時から、都人をぜひ婿としたいという思いが強かったというのである。伊勢十段の母親の思いと同じものがあると言っていいだろう。そして、その地元の明石では、都から赴任してきた元国の守の娘であるから、地方での尊貴への憧れや国司の財の魅力で、求婚も多かったのである。明石入道はその都度拒否したので、「あまたの人の嫉みを負」ったというのであった。

その入道の言葉を承けた光源氏の言葉を次に掲げる。

横さまの罪にあたりて、思ひかけぬ世界にただよふも、何の罪にかとおぼつかなく思ひつるを、今宵の御物語に聞きあはすれば、げに浅からぬ前の世の契りにこそは、あはれになむ。

(無実の罪を着せられて、思いも掛けない世界に流離するのも、いったいどのような罪の報いかと思っていたが、今宵のお話しに聞き合わせると、なるほど浅くはない前世からの因縁によるものであったのだと、感慨も無量のものがある。)

光源氏は、「横さまの罪」にあたって流離することになったと言っているが、これは貴族世界からの追放ということであり、まさしく都を追われた没落貴族の典型と言っていいだろう。源氏からすれば、流離の地における偶然の出会いにより婚姻への道が開けたのであり、自身の唯一の女子(明石姫君)の誕生により、明石入道の莫大な財力を手に入れるとともに、将来に渡っての、政治家としての道が切り拓かれたことになる。

あらためて指摘するまでもないが、光源氏の子供は少ない。男子は、夕霧、後半生の出生となる薫(実際は柏木の子)、(冷泉帝は密通の結果の子であって源氏の子としては扱うことができない)、そして、女子は明石姫君だけであった。政治家の道の歩む場合、その栄華の極まる形は外戚の地位(天皇の舅)ということになるが、そのためには、当然のことだが、女子の誕生が必須であった。女子の入内によって皇子が誕生し、やがて皇太子、天皇というかたちが望まれたのであった。現実の藤原北家、たとえば道長の場合などは、その典型であったと言うことができよう。

 

このように、『源氏物語』「明石」巻の貴種流離譚とは、流離する貴公子(光源氏)の漂着によって、その土地の娘(明石君)と婚姻し、その結果、その親(明石入道)の財の支援を受けるとともに女子が誕生、やがて、その女子が入内して天皇の皇子を生むことで、外戚たる光源氏の政治的地歩が盤石のものになるというかたちだったのである。

一方、貴公子を受け入れる側(明石入道)は、自身の娘(明石君)が貴公子(光源氏)の女子を生んだ結果、やがて、その女子(明石姫君)が入内、その後次々に男子を出産、ついには中宮に昇り詰め天皇家の要を占めることで、家の再興が実現できたのであった。

おそらく、このようなことは夢の実現としか言いようがないことであったであった。しかし、何としても、その夢を実現したいという悲願は人生においては存在するものであろう。そのような悲願を、『伊勢物語』「十段」の「藤原なりける」「母」は、武蔵の地において持ち続けていたのではないか。

この伊勢十段の母親の悲願は、やがて成就したかどうかはわからない。なぜなら、『伊勢物語』はその結果のことを語ってはいないからだ。しかし、『源氏物語』の場合は、その悲願(夢と言ってもいい)は成就実現したのである。現実の厳しさに直面する物語が『伊勢物語』であるならば、『源氏物語』の場合は、エンターテイメントとしてのサービス性も重視されなければならなかったのからである。

紫式部の同僚の女房たち(受領層である)は、この明石入道一家のサクセスストーリーに、自らの家の運命とその再興の夢を重ね合わせ、おそらく、ひそやかに胸躍らせたに違いない。

『伊勢物語』の世界を承け、さらにそれを発展深化させた物語として、『源氏物語』は存在しているのである。

 

2017.3.07 河地修

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