-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第38回
みちのくの「いろごのみ」―さがなきえびす心
『伊勢物語』「東国章段」の「十四段」は、「昔、男」がついに現在の宮城県栗原市付近にまで流離したことを述べている。この男がなぜ都に帰ることになったのかは明らかにはされていない。ただ、ここで確認をしておきたいことは、『伊勢物語』の各章段の「男」は、必ずしも同一人物とは言えないということである。しかし、こういう言い方をすると、また誤解を与えるようだが、同時に、同一人物と思われる場合もある。たとえば、主人公が在原業平らしき男の場合がそうなのであるが、「十四段」の「男」と次の「十五段」の「男」とはどうであろうか。
「十五段」は、東国物語の最終章段であって、いわば、ここでは、「東国物語」としての何らかの結論めいたことが求められることになるといわなければならない。十五段の物語本文を掲げてみよう。
昔、陸奥にて、なでふことなき人の妻に通ひけるに、あやしう、さやうにてあるべき女ともあらず見えければ、
しのぶ山しのびて通ふ道もがな人の心の奥も見るべく
女、かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせむは。
(昔、男は陸奥で、何ということもない普通の身分の男の妻に通ったのだが、不思議なことに、そういう男の妻であっていい女とも思われなかったので、
しのぶ山ではないが、人目をしのんで通う道がほしいものだ、あなたの心の奥深い
ところもみることができるように
女は、この上もなくすばらしいと思ったのだが、そのような性悪の野蛮な心を見て、いったいどうするというのだ。)
この十五段の物語の舞台とは、男の歌の「しのぶ山」からわかるように、現在の福島県福島市周辺ということになる。もしも、前段の十四段の男と同一人物だと考えるならば、栗原の姉歯から都への帰途の話ということになるが、無理に同一人物と考える必要はないだろう。福島県の信夫山周辺にまで流離した男が、たまたまその地の「なでふことなき人」の妻に通っただけのことであろう。男にとって、その人妻が高く評価される女のように思えたので、これから先も通い続けたいという気持を歌にして送ったものと思われる。
このあたりの事情については、都から陸奥に下った男が、その土地の人妻に通ったということで、これは、早い話が「好色譚」とみていい。「いろごのみ」には好色性が当然あるわけで、そういう「いろごのみ」の男の話として読めば、それだけのことである。しかし、この章段は、男の心情とは別に、物語の語り手(作者)の心情がストレートに表出されているのである。その表出は、歌の後に置かれている「女、かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせむは。」の一文に表れている。
この一文については、諸注の間で若干の見解の相違があるものの、その後半の「さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせむは」が、物語の語り手(作者)の「評」に相当するものである(竹岡正夫『伊勢物語評釈』)ということは動かないだろう。「評」とは、言い換えれば、いわゆる物語作者の感想、あるいは注記文と言われるものである。同様のものは、すでに初段から見ることができるが、これらにおいては、物語作者の主張とでも言うべきものが鋭敏に表明されていると考えねばならない。
「しのぶ山」周辺の人妻に通う主人公は、さらにその人妻の「心の奥を見るべく」積極的な姿勢を見せたのであったが、それに対する女の「かぎりなくめでたしと思」う反応はともかくとして、物語作者は、「さるさがなきえびす心を見ては、いかがはせむは」と、冷酷にも言い放ったのである。
この場合の「さがなきえびす心」とはまことに厳しい評価であろう。「いろごのみ」であるこの物語の主人公にとって、「しのぶ山」の女は「さやうにてあるべき女」には見えなかったのではあるが、物語作者は、これを「さがなきえびす心」の女として突き放すのであった。
ここには、「都」の「鄙」に対する究極の「都鄙意識」があると見なければならない。都の価値である「みやび」=「宮び」にとって、「みちのく」の「鄙び」とは、まさに容赦ない攻撃の対象ではあった。九世紀前半をその時代設定とする『伊勢物語』「東国物語」の世界には、後代、そこに限りない郷愁を誘う歌枕、「みちのく」の誕生は、まだかなり先のことであったのである。
2017.4.26 河地修
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