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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第46回
「時がうつる」ということ―紀有常の没落は虚構なのか

 

『伊勢物語』「第十六段」は、紀有常の後半生のことであるが、長年連れ添った妻が出家するに当たってのエピソードを語るものであった。有常は、出家する妻への餞別もままならないほど、後年は生活が不如意であり、そこで「ともだち」(在原業平)に支援を願い出て、その結果、なんとか餞別を贈ることができたというのである。

諸注釈は、この話は虚構であろうと言う。「後は世かはり時うつりにければ」とあるが、「世の常の人のごともあらず」というのは、誇張ではないかというのである。

しかし、見てきたように、有常が、紀氏の「氏の長者」として惟喬親王を後見し、その立太子の実現を目指して尽力したことは想像に難くないのである。そして、その立太子争いに敗れた時、時の貴族社会は、無情にも有常を見限ったに違いなかろう。

有常の父名虎は、仁明と文徳の二代にわたって、二人の姫君(種子・静子)をそれぞれ入内させている。入内に当たっては、莫大な経費が必要となることは言うまでもなく、おそらく、紀氏の財政は底をついたのではないかと思われる。

そもそも、律令の大本となる全国からの租税は、すでに貴族社会全体に行き渡るほどのものはなかった。そこで、受領層は、国司に任命されることで、任国での租税を事前に自身の懐に入れる時代になっていたのである。そのためには、国司の任命権を持つ権門への賄賂は、なかば恒常化していたと言っていい。従って、このような猟官運動に関わる賄賂収入は、権門盛家にとっては大きなものがあったのである。このことは、逆に言えば、中途半端な官職では、すでに十分に食べることもできなかった時代と言えるのである。

貴族社会の、その先を見越しての紀氏への様々な投資的運動は、ある時を境(立太子争いの敗北)に、まるで潮が引くように絶えたことであろう。それでも、有常は「昔よかりし時の心ながら」であったというのであるから、その後も惟喬親王には誠意を尽くして仕えたものと思われる。その具体的な記録が『伊勢物語』後半に展開される「惟喬親王物語」だったのである。

『伊勢物語』「第十六段」に描かれる有常と「友だち」である業平との友情は美しい。しかし、その前に、紀有常を取り巻く政治的環境の厳しさというものに思いを致すべきであろう。

立太子争いに敗れ、さらに皇位継承という光の背後に広がる闇に沈む没落貴族のかなしみこそ、『伊勢物語』世界を貫く大きなテーマの一つなのである。

 

2017.7.13 河地修

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