-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第81回
「天の下の色好み」―第39段の諸問題(四)
螢を放つ「色好み」
それにしても、この源至の「螢を放つ」行為をどう考えるべきであろうか。夜、牛車の中にいる女を見るために、その中に螢を放ったのである。車の後部には簾が垂らされており、その中に螢を放てば、中にいる女の姿態が、簾越しではあるが、ほのかな灯りに浮かび上がるのである。
この行為は、単純に考えれば、好色の極まったものと言えるであろう。それは、簾を乱暴に上げるわけではないから、別の見方から言えば、風雅な好色の振る舞いと言っていいかもわからない。しかし、乱暴であることには変わりはないから、それは「いちはやき」行為ではあった。初段の「昔、男」の行為とは異なるが、これも、「いちはやきみやび」と言っていいだろう。
ところで、「螢」を放ち女の姿態を見る行為と言えば、契沖が「此の段に似たり」と言うように、『源氏物語』「螢」巻での光源氏のそれが思い出される。光源氏は、まさしく「色好み」の代表であった。この時の、姿態が「見られる」対象の女君は「玉鬘」であったが、むろん、源氏が玉鬘を見るために「螢」を放ったのではなかった。それは、玉鬘に恋い焦がれる源氏の弟の兵部卿宮に、その姿態を見せるためであった。玉鬘を恋い焦がれる宮に、螢の幽かな灯りの中にその姿態を見せ、その悶々とする反応ぶりを見て楽しもうというのである。
これは、たとえば、掌中の珠を垂涎の的として欲しがる者に、あえて、それをかすめる程度見せつけようとする行為なのであって、すでに、玉鬘を、男女の関係にはないものの、確実に「我がもの」としている光源氏の、あえて言えば、傲慢この上ない楽しみ方と言える行為なのであった。政治的、社会的に臣下第一位の最高権力者へと昇り詰めたものの、しかし、私生活に於ける恋の当事者としては、すでに峠を下りつつある中年光源氏の、いわば、屈折した心情がもたらすところの「色好み」―好色のあり方であった。
しかし、こうした好色ぶりが、世の中の誰にでも許されるわけではない。実は、螢の灯りに女の姿態を見る行為は、この他では『宇津保物語』「初秋」巻にも見出すことができる。この時の実行者は「朱雀院」、すなわち天皇であった。「色好み」の極致としての行為の一つが、「螢の灯り」で「女の姿態」を見ることであるとするならば、『伊勢物語』の「源至」―『宇津保物語』の「朱雀院」―『源氏物語』の「光源氏」と、ここには、見事な「色好み」の系譜が展開していると言うべきであろう。
至の「色好み」は、世界を統べるものが有する「王権」のそれとは異なるが、しかし、それは、「天の下の色好み」と称されることにおいて、天皇、光源氏と並ぶ究極の「色好み」という位置付けなのであった。