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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第92回
「あがたへ行く人」(44段)(二)

 

初期の掛詞のおもしろさ

44段の和歌の解釈については、諸注で見解が分かれるが、いわゆる「掛詞」表現が存在することは認めてよさそうである。次に、一首すべてをかな表記で示してみよう。

いでてゆくきみがためにとぬぎつればわれさへもなくなりぬべきかな

(都を出てゆくあなたのためにとこの裳を脱いだので、自分までも、裳―喪がなくなってしまうに違いないことよ)

地方の任国へと旅立つ人のために、友人が開いた「馬のはなむけ」(送別の宴)でのことである。その家の「家刀自」(家の主婦-主人の妻)が、「盃ささせて、女の装束かづけむとす」としたのは、酒と餞別の品を渡そうとしたのである。別れにあたって、酒と餞別の品、というのは、いつの時代でもよく見る風景ではあるが、ここでは、それに加えて「和歌」が詠まれるのである。むろん、この場合、「家刀自」に代わって「あるじの男」が詠んだのであった。

実は、その和歌に、いわゆる和歌の修辞法での「掛詞」が用いられているのがこの歌である。『古今和歌集』以降、ふんだんに用いられる修辞ではあるが、9世紀の和歌としては珍しいのではないか。掛詞としては初期段階のものと言っていいだろう。

下の句の「われさへもなくなりぬべきかな」という表現に注目したい。これを単純に直訳すれば、「自分まで裳がなくなってしまうに違いない」ということであろう。上の句「いでてゆくきみがためにとぬぎつれば」―あなたの旅立ちのために脱いだので、という前提がある以上、この解釈は動かない。

ただ、注意したいのは、「われさへもなくなりぬべきかな」と朗詠すると、七、七の音数律では、リズム上大きな違和感が生じるのである。つまり、「我さへ裳なくなりぬべきかな」という文脈でこの歌を詠むと、和歌の韻律が崩れるのである。そこで、物語の語り手は、「心とどめて詠まず、腹にあぢはひて」という末尾の注記文(物語の語り手の解説)を付したのであろう。あらためて、その箇所を掲げてみよう。

この歌は、あるが中におもしろければ、心とどめて詠まず、腹にあぢはひて。

(この歌は、その時に詠まれた歌の中でも特に興味深いので、腐心して朗詠はせず、じっくりと心のなかで味わうがよい。)

当然「馬のはなむけ」では多くの歌が詠まれたはずで、この歌は、その中で特に面白かったというのである。そのおもしろさとは、「我さへ裳なくなりぬべきかな」に「我さへ喪なくなりぬべきかな」というもう一つ表現が、「掛詞」として存在しているという点なのである。「心とどめて詠まず、腹にあぢはひて」という語り手のコメントには、さらにもう一点、この「掛詞」に注意して「あぢはふ」必要がある、ということを言っているものと思われる。「掛詞」は、さらりと朗詠したのでは、そのまま気づかずに読んでしまう可能性が高いからである。

さて、この場合の「喪」とは、『日本国語大辞典』から引用すると、「わざわい。まがごと。凶事。」ということになる。実は、古代においては、「喪」が旅の安全を脅かすものとして認識されていたことがわかる。『萬葉集』の例歌を掲げてみよう。

「わたつみの恐(かしこ)き道を安けくもなく悩み来て今だにも喪(も)なく行かむと」巻十五・三六九四

「旅にても喪(も)なく早来と吾妹子が結びし紐はなれにけるかも」巻十五・三七一七

この『萬葉集』の歌に見られるように、古代、人々は、大切な人の旅路にあたって、その禍がないようにと祈るのはごく自然の事であったに違いない。そういう心情を、掛詞の修辞としては嚆矢とも言うべく「裳」に「喪」を重ねた「あるじの男」とは、この時代の歌人としては相当な実力者だったのではあるまいか。

この歌の解釈について、北村季吟『拾穂抄』は、

出て行く人のために、裳を脱ぎてやれば、我さへ裳がなくなるとなり。「も」は喪の字なり。喪の字をわざはひとよめり。衣装の裳なくといふを以って、わざわひなくと云ふ心を読めり

との解を示しているが、正しい解釈と言うべきであろう。

 

 

2021.6.12 河地修

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