-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第96回
「大幣の引く手あまたに」―「あだなる」男(第47段)
46段との対照性
第47段は、前段の46段とは内容面での直接的な連続性はない。特徴を挙げるならば、『古今和歌集』「巻十四」「恋四」における「在原業平」と「詠み人知らず」(ある女)との贈答歌に基づくということだが、しかし、47段の主人公を「あだなり」と規定するところは、前段の「いとうるはしき友」と、その人物設定が対照的であるということは言えよう。まず、本文を掲げてみよう。
昔、男、ねむごろにいかでと思ふ女ありけり。されど、この男をあだなりと聞きて、つれなさのみまさりつつ、言へる、
大幣(おほぬさ)の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ
返し、男、
大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありといふものを
(昔、男が、心底からなんとかして妻にしたいと思う女がいた。しかし、女は、この男を浮気な男だと聞いて、いよいよ冷淡な態度ばかりがまさる一方となり、次の歌を送った、
あなたは、大幣のように引く手あまた、多くの女性とお付き合いをなさっていますから、私は、あなたに好意を持ってはいるものの、夫として頼りにすることはとてもできないのです
返しに、男は、
確かに、私は、大幣のように引く手あまた、多くの女性と付き合っているという評判が立っていますが、その大幣は、やがて流れるもの、そして最後には寄り着く瀬があるのですよ、つまり、私は、最後にはあなただけのものになるのです)
47段の「昔、男」の歌は、『古今和歌集』の「恋四」に載せる業平詠であることから、この章段の主人公は、むろん在原業平ということになる。その業平が、「女」を「ねむごろにいかでと思ふ」というのであるから、これはつまり、女を本気で「妻」にしたいと思ったのであろう。遊び半分の相手に対して「ねんごろに」という表現は用いない。
しかし、当時の業平の世評は、「あだなり」であった。そういう業平からの求愛を、そう簡単に信じるわけにはいかない、と女は言うのである。
この「あだなり」の対極に位置するのが、概念としては「うるはし」、もしくは「まめ」という言葉であろう。この47段の「あだなる男」と、前段の46段に登場する「うるはしき友」とは、まさに正反対の人物評価と言っていい。
こうした章段配列は、物語の内容そのものに関わるものではないが、人物像の設定としての対応的原理が働いているものと思われる。それは、たとえば、初段の「いろごのみ」の主人公と、二段の「まめ男」との対応関係と同様のものがあり、これは、作品としての『伊勢物語』の章段の配列構成原理の一つと言うべきなのである。そして、この時代、作品制作にあたって、対応の論理を積極的に多用したのは、紀貫之以外にはいないが、このことは、今は措く。
『古今和歌集』「巻十四」「恋四」の贈答二首、及び詞書
「このように、第47段は、その贈答と物語内容の概略が、『古今和歌集』「巻十四」「恋四」に載せられている。こういう場合、昔から、その先後の問題が論じられてきたのは周知のとおりである。この「先後の問題」であるが、この場合、やや複雑な事情が介在するので、少し丁寧に問題を整理していかなくてはならない。具体的に、47段と『古今和歌集』当該の贈答二首を詞書とともに引用して考察しよう。
ある女の、業平朝臣を、所定めず歩(あり)きす、と思ひて、よみてつかはしける
詠み人知らず
大幣の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ
返し
業平朝臣
大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありてふものを
(ある女が、業平朝臣を、大勢の女のところへ通っていると思って、詠んで送ったのであった
詠み人知らず
あなたは、大幣のように引く手あまた、多くの女性とお付き合いをなさっていますから、私は、あなたに好意を持ってはいるものの、夫として頼りにすることはとてもできないのです
返し
確かに、私は、大幣のように引く手あまた、多くの女性と付き合っているという評判が立っていますが、その大幣は、やがて流れるもの、そして最後には寄り着く瀬があると言われているのですよ、つまり、私は、最後にはあなただけのものになるのです)
すでに何度も述べてきたことではあるが、本稿の筆者は、『古今和歌集』と『伊勢物語』との成立の先後については、『古今和歌集』(905年)を承けて『伊勢物語』が制作され、成立した、と述べてきた。これは、確論と言うべきことで、動かない。しかし、同時に、このことはやや精緻な考えも必要とするのであって、『伊勢物語』の成立が『古今和歌集』よりも後だとしても、その『古今和歌集』に収載されている『伊勢物語』との重複資料、たとえば業平詠に関するものは、どこからもたらされたのか、ということも押さえておかなければならないのである。
つまり、『古今和歌集』は、当然のことだが、何かの文献(家集・旧歌である)を資料としているのであって、とすれば、仮に『伊勢物語』が『古今和歌集』を資料として物語化したと考えられたとしても、もう一つの可能性として、『古今和歌集』が資料とした文献を、『伊勢物語』が直接資料とした、とも考えることができるのである。
そうした可能性を視野に入れつつ、本章段を考えなければならないのであるが、やはり、この章段については、『古今和歌集』を直接に資料としたと、考えるべきではないかと思われる。それは、『古今和歌集』に収載する「業平詠」三十首が、すべて『伊勢物語』にあるということからもわかるように、「古今業平歌」をすべて「物語」に取り込むということが、『伊勢物語』制作にあたっての絶対的条件であったからである。
作者は、取り込んだ業平詠を基にして改変、前後の物語との配列を考えていったものと思われる。たとえば、その過程が、先述した「あだなり」と46段の「うるはし」との対応なのである。
『古今和歌集』「詞書」と『伊勢物語』「47段」との表現差異の問題は、言い方を変えるならば、なぜそうした表現へと変えたのか、ということであって、この場合の改変の要諦を示せば、以下の通りであろう。
「業平朝臣を、所定めず歩きす、と思ひて、」(詞書)
↓
「この男をあだなりと聞きて、」(47段)
この改変は、具体的に言えば、「あだなり」という表現に注目したと言えるのであり、この表現は、述べたように「うるはし」(46段)との対応の妙という章段配列原理の一つなのであるが、それとともに、『古今和歌集』「仮名序」に貫之が記したところの九世紀の和歌事情の表徴でもあった。
今の世の中、色につき、人の心、花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみ出でくれば、色好みの家に埋もれ木の、
つまり、『伊勢物語』の制作モチーフとして、九世紀の和歌事情を語るというものがあることを、我々は強く認識しておかなければならないのである。さりげないところではあるが、そのキーワードとして、「あだなり」という表現があるように思われる。
2022.1.15 河地修
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