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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第98回
「妹のいとをかしげなりけるを見をりて」―妹よ(第49段)

 

色好みの兄とその妹

第49段の主役は、むろん、「昔、男」なのであるが、その相手役としてのヒロインは、その「妹(いもうと)」である。この章段の眼目は、血縁関係のある兄妹による和歌の贈答なのだが、『伊勢物語』らしい特色を有していると言える。まず、49段の本文を掲げよう。

昔、男、妹のいとをかしげなりけるを見をりて、

うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ

と聞こえけり。返し、

初草のなどめづらしき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな

(昔、男が、妹がとても美しく魅力的であったのを見ていて、

若々しく魅力的なので、共寝をすれば素敵であろうと思われる若草のようなあなたを、他の男が妻にするのが残念に思われてならないことだ

と、妹の耳に入るように詠ったのであった。妹の返しの歌は、

まあ初草ではないが、初めて聞く何とも珍しいお言葉ではありませんか、今まで、お兄様には、私は何ら疑うことなくただお兄様として思い接しておりましたのに)

少し個人的な記憶になるが、もう半世紀ぐらい前に、「妹」をテーマにした映画があった。演じた女優さんは秋吉久美子という人で、私は、その映画を見たわけではないが、ポスターなどから、なんとなく、「兄と妹」の、なにか危うい心情がテーマなのだろうか、と思ったりしていた。また同じ頃かと思うが、「妹」をテーマにした歌が、ラジオやテレビから流れていて、「兄」から見た「妹」の存在が、十分に文学世界のテーマであることは認識したように思う。ただ、私は、個人的には「妹」なる人格の存在を実感として知り得る立場ではなく、ついに、この映画や歌には、さほどの興味を持つことなく終わった。

さて、「49段」であるが、このちょっとした短い話も、「兄」から見た「妹」の存在がテーマと言えよう。物語には、「昔、男」が「妹のいとをかしげなりけるを見をりて」とある。この表現にある「見をりて」とは、「見る」という動作が「をり」ということで、継続して「見る」状態を表しているのである。つまり、具体的に言うならば、兄が妹の部屋に入ってゆき、その間に何ら障壁となるものもなく、妹を直接見ている状態を表しているのである。

この時代、貴族社会において、このように「兄」が「妹」を直接見る行為が成立するのは、きわめて珍しいことであった。幼少期はともかく、成人後に兄がこれを堂々と行うのは、よほど両者の信頼関係は強いものがあるとしなければならない。むろん、この兄妹は「同腹」(はらから)なのであって、「異腹」(ことはら)などではあり得ない。

ありていに言えば、とても仲のいい兄妹なのであろう。だからこそ、この兄は、露骨な歌を詠みかけることができたのだ。兄の歌は、すっかり女らしくなった妹に対して、異性の「男」の視点から詠んだもので、他所の男にやるのなら、自分のものにしたい、というような「色好み」特有の気持を言い送ったのである。むろん、冗談であるが、こういった冗談が冗談として通用するものであるのかどうか、「妹」というものの存在を知らぬ筆者にはよくわからないところがある。

かつて、都内の某女子大学のゼミで49段を読んだ時、「兄」を持つ学生に、「このような冗談を言われたとしたら、どうですか?」と聴いたことがある。「兄」を持つ一人の女子学生は、すぐさま、「ぶん殴ります」と、冷たく言い放ったのが面白かった。49段の面白さは、「色好み」の「兄」とその若く美しい「妹」をめぐる洗練された贈答の面白さと言っていい。

ところで、本章段の解釈について、二点ほど言っておきたい。一つ目は、兄の歌を詠む行為を「聞えけり」と表現しているところである。ある注釈書は、これを「謙譲語」として「申し上げた」と訳し、さらに、男より身分の高い妹だから、「異腹」の妹であろうとするのである。

この解釈は間違いで、ここでは「聞こゆ」の本来的なあり方が示されているのである。「聞こゆ」とは、「聞く」に古代の自発の助動詞「ゆ」が付いたもので、自然に聞こえる、耳に入る、というほどの意味なのである。高貴な人物への物の言い方は、相手の耳に自然に聞こえるように話すので、現代語としては、それを、「申し上げる」と訳すのである。

さらにもう一点、妹の歌の上の句「初草のなどめづらしき言の葉ぞ」であるが、「めづらし」には「愛づ」(称賛すべき)の意があるから、兄の歌を、なんと素晴らしいお言葉か、と妹が歓んだとする解釈があることである。これは、解釈が間違っている、というような次元のものではなく、人の世の機微がわからない、というような次元のものと思われる。

 

 

2022.5.1 河地修

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