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王朝文学文化研究会 


文学文化舎



-伊勢物語論のための草稿的ノート-

第100回
縁語、もしくは縁語的発想による短章段の配列(51~57段)

 

「あだくらべ」のかたちで男女の贈答の妙を展開した50段に続いて、次の51段から57段までは、いずれも短章段のグループであることがわかる。これは、形態的に同類のものを集めた結果であって、意図的な編集であることは言うまでもない。

そして、さらに言えば、この章段群には、縁語、もしくは縁語的発想による和歌の連鎖による配列原理が働いている。この連鎖の配列は、たとえば『古今和歌集』「巻一」「春上」などに、典型的に示されるものと同一であって、このあたりの事情は、両作品に共通の作者―紀貫之を想定すべきであるが、そのことは、ここでは一応措くことにする。

とりあえず、51段から57段までを、以下掲げることにしよう。縁語、もしくは縁語的発想による章段配列であるから、一瞥すれば、おのずとその配列の原理は首肯されることではあるが、指摘はしておかねばならない。

 

第51段

昔、男、人の前栽に菊植ゑけるに、

植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや

(昔、男が、ある人の庭の前栽に菊を植えた時に、

心を籠めて懸命に植えるならば、秋という季節がない時には咲かないだろうか、いやいや、それでも咲くに違いない、そして花は散るであろうが、しかし、根まで枯れることがあろうか、ありはしないよ)

第52段

昔、男ありけり。人のもとより飾り粽(ちまき)おこせたりける返りことに、

あやめ刈り君は沼にぞまどひけるわれは野に出でて狩るぞわびしき

とて、雉をなむやりける。

(昔、男がいた。ある人のところから飾り粽を送ってくれたその返事として

歌に、

菖蒲を刈りに、あなたは沼でひどく苦労されたことであろう、この私は私で、野に出て雉を狩ることで、ずいぶんつらい思いをすることです

と言って、雉を贈ったのであった。)

第53段

昔、男、逢ひがたき女に逢ひて、物語などするほどに、鶏の鳴きければ、

いかでかは鶏の鳴くらむ人知れず思ふ心はまだ夜深きに

(昔、男が、なかなか逢うことができない女に逢って、話などをしているうちに、夜明けを告げる鶏が鳴いたので、

どうして鶏が鳴いているのであろうか、誰にも知られることのないあなたを思う私の心は、まだまだ夜明けまでは遠い今この時のように、深いものであるのに)

第54段

昔、男、つれなかりける女に言ひやりける、

行きやらぬ夢路をたどる袂には天つ空なる露や置くらむ

(昔、男が、冷淡だった女に言い送ったのだった、

あなたのもとに夢路を辿って行き着くことができぬ私の袂には、はるか高い空にある露が置かれているのでありましょうか、このようにしとどに濡れています、むろん、あなたを思う私の涙なのですが、)

第55段

昔、男、思ひかけたる女の、え得まじうなりての世に、

思はずはありもすらめど言の葉のをりふしごとに頼まるるかな

(昔、男が、思いを掛けた女が、とうてい手に入りそうもなくなってからの時に、

あなたは私のことを愛してはくれないとは思われるけれども、しかし、あなたからの歌を見るたびごとに、希望を持たずにはいられないのです)

第56段

昔、男、ふして思ひ、起きて思ひ、思ひあまりて、

わが袖は草のいほりにあらねども暮るれば露の宿りなりけり

(昔、男が、横になっては思い、起きては思い、思い余って、     

私の袖は、草の庵ではないけれども、日が暮れると、露の宿りなのでありました、そのように涙がしとどに濡れているのです)     

第57段

昔、男、人知れぬもの思ひけり。つれなき人のもとに、

恋ひわびぬ海人の刈る藻に宿るてふわれから身をもくだきつるかな

(昔、男が、人知れぬ恋の物思いをしたのだった。冷淡な人のところに、     

あなたを思う心に苦しみ疲れてしまいした。海士が刈り取る藻に宿るというワレカラではありませんが、我から―自分自身のせいで、恋のために身をくだくことです)

 

このように意識的に短章段を並べたのは、物語文を短文にすることで、和歌同士の連続連鎖をわかりやすくするためと思われる。以下縁語的発想の連続を、具体的に指摘しておく。歌語、もしくは言葉の連鎖の妙である。

 

51段「菊」―52段「菖蒲」「雉」―53段「鶏」「夜深き」―54段「夢路」「露」―55段「言の葉」―56段「草」「露の宿り」―57段「藻に宿る」

 

 

2022.11.24 河地修

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