-伊勢物語論のための草稿的ノート-
第106回
昔の人の袖の香(60段)(一)
『古今和歌集』「巻三」「夏」の「題知らず」「詠み人知らず」歌
59段に続く60段も、その物語世界の舞台は、「人の国」(地方)である。主人公の「昔、男」が「宇佐の使」に行った際、途中の「ある国」でのこと、とあるので、「山陽道」か「西海道」に属する国であろう。以下本文を掲げてみる。
昔、男ありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自(いへとうじ)、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。この男、宇佐の使にて行きけるに、ある国の祇承(しぞう)の官人の妻(め)にてなむあると聞きて、
「女あるじにかはらけとらせよ、さらずは飲まじ」
と言ひければ、かはらけ取りて、出だしたりけるに、肴なりける橘を取りて、
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
と言ひけるにぞ、思ひいでて、尼になりて山に入りてぞありける。
(昔、男がいた。朝廷勤めが忙しく、女への気持も誠実ではなかった当時の家の主婦が、誠実に愛そうと言う人に従って、地方の国に行ったのだった。この前の男は、宇佐神宮への勅使として出かけたところ、その女が、宇佐へ行く勅使を接待する地方官の妻になっていると聞いて、
「女主人に盃を取らせよ、そうでなければ接待の酒は飲むまい」
と言ったので、女は盃を取って、簾の下から男に返したところ、男は、酒の肴であった橘の実を取って、
五月になるのを待って咲く花橘の香をかぐと、昔愛した人の袖の香がする ことだ
と詠ったので、女は、かつての夫だと思い出して、出家して尼になり山寺に入って余生を送ったのであった。)
本章段は、いろいろと問題の多い物語で、まず、この章段の和歌について考えねばなるまい。「五月待つ花橘の~」の和歌は、言うまでもなく『古今和歌集』「巻三」「夏」の巻頭近くに置かれるものである。「題知らず」「詠み人知らず」として収載されているので、『古今和歌集』の段階では、その詠者も、詠歌の事情も分からない、ということになろう。ところが、『古今和歌集』の成立(905年)に遅れること、おそらくは四半世紀以上後になる『伊勢物語』「六十段」には、この一首の詠者が具体的に誰であるかはともかくとして、その詠歌の事情は詳細に語られているということになる。この事実をどう考えるか、という問題があるのである。
その前に『古今和歌集』の「四季(春夏秋冬)」の配列原理の根幹が、その「移ろいと循環」にあることは、すでに本コラムで述べたとおりである。つまり、「時」の推移のことであって、この流れに、和歌、歌群相互に連鎖連想の関係が絡められていることは指摘した。その観点からすると、「春」に続いて「夏」もそういう配列の原理が認められるのが大方の見方であろうと思われるが、『古今和歌集』「夏」の場合、その配列原理が「春」の部とは大きく異なる点が三点ほどある。
一点目は、「春」「秋」と違って、歌数が極めて少ないことである。四季のそれぞれの歌数は、「春」134首、「夏」34首、「秋」145首、「冬」29首となっており、これは、ありていに言えば、『古今和歌集』撰進時、「夏」と「冬」の詠歌が、「春」「秋」に比して極端に少数であったことをものがたるであろう。
二点目は、「夏」の場合(「冬」も同じ事情が見て取れるが)、配列の原理として「時の経過」というものがほとんど見られないのである。
三点目は、その歌材としては、圧倒的に「時鳥(ほととぎす)」であることが一目瞭然である(その割合は28/34、ちなみに「冬」の場合は「雪」)。
これらの三点は、やはりいずれも収録する詠歌が少なかったことに起因していると思われる。そのような中で、『古今和歌集』「巻三」「夏」に収められる当該の「題知らず」「詠み人知らず」歌は、「夏」に収載される全三十四首のなかでは、いささか性質が異なるものであるように思われる。あらためて次に掲げてみよう。
五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
解釈としては、すでに示したとおりだが、この和歌の歌材としては、「五月待つ」「花橘」という歌語があり、これらは、明らかに季節の「夏」を示していよう。夏が「卯月」「皐月」「水無月」の三か月ということを考えるまでもなく、この歌は「初夏」の景にぴったりであると言い得る。そういう意味では、まさに「夏」の巻頭近くに置かれるべき性質のものなのだが、しかし、その下の句「昔の人の袖の香ぞする」とは、ずいぶんと艶めかしい措辞なのである。
「昔の人の袖の香」とは、いちいち例証を挙げるまでもなく、昔、男女の関係を結び、情交があった相手の肉体に直結するその人の「香」を示しているのである。つまり、これは「夏」の季節に詠われた「恋」の歌ということになるのである。
諸注、六十段は、『古今和歌集』の当該歌に基づいて「物語化」がなされた、とする見解でほぼ一致しているが、この稿の筆者は、その見解に異論を呈してみようと思うのである。
―この稿続く―
2023.8.3 河地修
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